タイトル変えよう、変えます
ブログのタイトル、好きなのを考えたので、変えようと思います。
小説もそうだけど、タイトルって難しい。
私は思いつきと言葉の調子と気分と、自分が思ったものに近いかどうかを基準にしてしまうので、わかりやすいとか、伝わりやすいとか、いまどきだとか、売れ線だとか、そういうところからは、だいぶ外れてしまいます。
それでも、自分が発信するものの名前なんだもの、自分が納得するものにするのがいいよね。そんなふうに思います。
負け惜しみみたいに聞こえちゃうかしら。
バスの扉が閉まらないんですけど
満員のバスに乗ると不思議に思うことがいろいろある。
もう誰一人として乗れない状況で次のバス停に着いたとき、ドアを開け、「たいへん混雑しておりますので次のバスをお待ちください」と言う。
これはぜったいしなければならないことなのだろうか?
バスの扉が開けば、乗れるのだと期待するし、乗りたいと思うと思う。でも実際には乗れないのだ。乗ろうとしても、「バスの扉が閉まらないんですけど」なんて、すごく曖昧なアナウンスをされてしまう。
「降りて」と言えないのもまた、なぜ言わない、言ったらダメなの?って思うけれど、そんな状況になるとわかっていて扉をあけるのも、やっぱりどうかと思う。
扉付近で小さくなっている人たちも、降りる人がいないとわかっていて停車するたびに顔がこわばっている。
扉を開けず、ごめんなさいをすることはできないのだろうか。
運転手さんやバス会社ごとで違うのだろうけれど、それはそれで不満になりそうだし。
ここいらで一つ、統一見解を作っておいたらいいんじゃなかなって思う。
扉が閉まらないについては、もう一つ。
電車が運行を見合わせてバスにも振り替え輸送がされたとき、すごい光景をみた。
満員のバスは扉が閉まらず、「バスの扉が閉まらないんですけど」とアナウンスが繰り返された。
このときも、降りてくれと促すことはなく、ただただ繰り返されるアナウンスに、乗客の誰かが、「どこに立ったら閉まらないんですか!」と声をあげた。
「黄色い部分に立つと閉まりません」
マイクを通して帰ってきた答えに、ドア付近に立つ人の頭が一斉に下をむいた。ぎゅうぎゅう詰めではっきりとは見えなそうだけれど、それでも黄色を感じた人が三人、自らバスを降りた。
バスの中にホッとした空気が流れた。これで扉が閉まるかと思いきや、そうはいかなかった。
降りる人を見て、ぐいっと乗り込んでくる人が三人いたのだ。
そしてまたアナウンスが繰り返された。
「バスの扉が閉まらないんですけれど……」
先を急ぐ気持ちはわかる。
みんなおなじだと思う。
だからって、これはどう見てもおかしい。ぐいぐい押して、もし扉が閉まったとしたら、自ら降りた三人があまりにも理不尽ではないだろうか。
「今、乗った人降りて」
よっぽど言ってやろうかと思ったけれど、乗客同士のトラブルでさらに出発が遅れるとか、そういうのは避けたいし、思わず言っちゃった場合は別として、言ってやろうかどうしようかと迷っている時点でそんな勇気はでない。
私はただただ、黄色の印に気が付いた誰かが降りてくれないだろうかと祈りながら座っていた。
この日、たまたますごく珍しい光景を見たわけじゃないと思う。
満員のバスに乗ると不思議に思うことがいろいろある。
なにか良い改善案がないものだろうか。
目を取り出して洗えたらいいと毎年思う
今年は年明けすぐぐらいから、鼻ぐず、目痒痒が始まった。
最近ではもう、鼻のダムは決壊、視界は霞むほど。
もう毎度のことながら、目を取り出してジャブジャブと洗うことができたら、どんなに気持ちがいいだろうと思う。
市販の鼻炎薬を飲み、鼻にはワセリンを塗る。
目薬はかゆみ止めタイプのものを使っていたのだけれど、今年は目薬、かゆみ止め系は買わずに済みそう。
花粉問題とは別に、私には、頭痛になるくらい目が疲れる日が多い。
仕事はパソコンに向かいっぱなしだし、読書も映画もアニメもゲームも、私がやりたいことはぜんぶ目を酷使する。
目は重くなり、目の奥がじんと痛くなる。
蒸気でホットアイマスクを愛用しているけれど、最近は、それだけではどうにもリフレッシュできず、目をまぶたの上からぎゅーっと押して、なんとかしのいでいた。
そんな中で、話題の1500円する目薬のことを聞いたものだから、試さずにはいられない。
点眼すると、かゆみ止めタイプのクール度が強いものくらいに目がスーッとする。その間の数秒、ピントが合わない感じで視界が白くなったりぼやけたりするので心配になるんだけど、それが止むと、あら不思議、目が軽くなる。目の奥のじんとした感じも居なくなる。
不思議だ。
すごく効いている気がする。
なんだろう、これ。
目のかゆみもおさまっちゃうので、花粉症用のものを今年は買わずにいけそうだ。
目、疲れること多いと思うので、お悩みの方、ぜひ試してみてー。
ちょっと高いかなって思ったけど、800円くらいのとは全然ちがった。
ほんと手放せないかも。
↓ これ。
気持ちが下がるのは前髪が伸びているせいだ
理由なくダメモードのとき、もしかしたら前髪のせいかもしれないと思う。
美容室に行くほどじゃないけど、ちょっと伸びた。
なんとなく邪魔。
気に入らない。
考えてみると、やっぱり前髪のせいかも。
そんなときはセルフカット。
こまめに爪を切るのでもいい。
そうすると、ちょっと気持ちが上向く気がする。
なんでかな。
ちょっといい。
本文に関係なく自作宣伝
謝るのもバツが悪いんだけど。。。
見たくないものに限って見ちゃう間の悪さ。
これも、なんとかの法則とか、名前があるのだろうか。
引き寄せちゃう秘密があるのだろうか。
サボってるとこ。
ズルしてるとこ。
サプライズの仕込みをしてるとこ。
見たくないのに見ちゃう。
見ちゃってごめん。
謝るのもおかしいけど、謝るしかない。
こういうの、できれば避けたい。
困った、困った。
本文には関係なく自作宣伝。
ちょっと変わりたい、ちょっと踏み出したい。
そんなふうに思うときに読んで貰えたらって、思います。
惑わされることなかれ、基準はアンクリアー
ネットしてると、バカみたいとか、かっこわるいとか、イタイよねとか、ささやきあっているのを見かける。
元気なときには、「ふーん、そうなんだ」って流せるんだけど、ネガティブに支配されているときの私は、「それって私のこと?」、「暗に私に言ってるんじゃ?」、そういう思いに囚われてどこにも行けなくなる。
名指しされていなくたって空リプってこともある。
知らない人だからって言われないとは限らない。あっちは私のこと知ってるかも。どっかで見てるのかも。
もしかして。
もしかして。
どんどん勝手に落ちていく。
そんなの、もし仮に私のことだったとしても放っておいていいのにね。
ぜんぶ正しいわけじゃない。
基準ははっきりと定まってはいないし、一つじゃない。
誰がどう言おうと、己の誠に従えばいいのだ。
私は私の大好きなセリフを唱えたい。
本当の本当は、そんな形で届いたりしない。
大切なことは、そんな形で届いたりしない。
惑わされることなかれ、基準はアンクリアー。
今日の日記、ネガティブに支配された日の私にメールしてあげたい。
本文とは関係なく自作宣伝。
走っている蔵之介さん
佐々木蔵之介さんが走っている姿を見るのが好きだ。刑事ものもいいけれど、裃姿は、なおいい。
ということで、超高速参勤交代のシリーズが好き。リターンズ、観てしまった。
そしてまたしても衝撃を受ける。
じ、陣内さんが。。。涙。
バンドマンから俳優さんへ。珍しいことじゃないけど、バンド好きな私は、なかなか役柄のイメージを受け入れることができない。
長嶋有さんの大好きな小説、「ジャージの二人」の映画での鮎川誠さんが、私の中の鮎川さんのイメージとは全然違うのにすごく好きだったのが唯一の例外で、あとはどうしてもイメージ通りの役柄を期待して衝撃を受けてしまう。
これって、かっこいい俳優さんが歌ったらいまひとつで、そういうのとおんなじなのかな。
頭も心もかたいってことかな。
そんなことを考えた。
それにしても、走っている佐々木蔵之介さんは素敵だなぁ。
じゅぶんな大人にこそ、説教じみた童話を
説教じみた童話ってダメなの?
ただ楽しいだけっていうのも好きだけれど、私は説教じみた話も好きだ。
(ちなみに自己啓発本もハウツー本もかなり好き)
自分で自分を鼓舞したいときに、よくやった、優しいねって思うことはあるけれど、本当によくできている人物や、優しい人物であるわけじゃない。
恨み言も悪口も、よからぬことも考える。
だからときどき、自分がイヤな方向に行きすぎないように、キレイな心を一瞬でも生むために、説教じみた話を読むの、大切だと思う。
教訓みたいなことがにじみ出てる話を見聞きするの、大切だと思う。
なんにもない感じを書きたいのとおなじくらい、説教や教訓がにじむものも書きたいと思う。
時代遅れ太郎?
ええい、なんとでも言って。
これ、説教なんてあった?と言われてビックリしたことがある。
(新訳のものもあるんだけど、こっちがおすすめ)
これの原作ね。
そしてまた本文とは関係なく、自作宣伝。
よかったら読んでみてください♪