ツレヅレゲキジョウ

ちょこの日々徒然なブログです。ほとんど日記。我が日常。

効果がなくても宣伝すること、したいこと

こういうことを考えたり、書いたりするのは趣がないんだけれど。。。

ツイッターのつぶやきの一つ一つで、「ツイートアクティビティ」なるものが見れるようになって、見なければ気にならないはずなのに、見てしまった。
思うところあって、ここ一年くらい、宣伝のリツイートをお願いするようなつぶやきを避けて来たし、積極的にリツイートするのも止めた。だから、ツイートの先に関しても、気にしなければ気にならないことのはずだったのだけれど、やっぱり見れるって分かると見ずにはいられなかった。

インプレッション(ユーザーがツイートを見た回数)、エンゲージメント総数(ユーザーが反応した回数)、リツイートされた回数、コメントされた回数、リンクのクリック数が確認できる。
そしてゲスい話、電子書籍に関しては販売数もわかる(販売方法によってすぐにわかるものとそうでないものがあって分かる時期が異なるのだけれど)。

無料公開しているものについては、リツイート数、リンク数が増えると、その記事のPV数が確かに増える。増えるけれど、ページ滞在時間の短い閲覧数が多数だったことに辿り着いて、凹んだ。
リンクが本当に有効なものかどうか、試しに飛んでくれているだけなのだと想像できる。そうだよね、確認は必要だよね。わかる。わかるんだけど、凹んだ。

有料販売している電子書籍の宣伝ツイートに関しては、無料のものに比べてクリック数も少ない。ほぼリアルタイムで販売状況がわかるサイトの情報と見比べても、販売につながったと思われるものにはまだ一度も出会っていない。
リンク先が怪しいものでないという保証もないし、そう簡単にクリックしてもらえるものではないのだろうと想像できる。宣伝したからといって、タイムラインを眺める多数の人に興味を持ってもらえるわけじゃない。悲しいけれど、それもわかっている。

ちょっと惹かれるおもちゃや本やイベントなんかのツイートについては、リンクをクリックしてもらえる数がグッと増える。文句を書いたものよりも、楽しいもの、嬉しかったものの方がクリックされる回数が多い。だよね、私も誰かの投稿が気になってリンクに飛ぶのはそういうのが多いから、わかる。

 

そうして私は結論付ける。
少なくとも私のツイッターでの宣伝効果は、すでに私の作品に興味を持ってくれている方々へのお知らせとしての機能は十分に果たしてくれるけれど、不特定多数への宣伝効果としては、自作品に関してはほぼなしと言える。
おもしろいものや話題のものに関する口コミ効果としては、有効な面もあるけれど、フォロワー数を考えたら、それだって物凄い効果があるわけじゃない。
どんなつぶやきでも、リツイートしてくださる方がパワーを持つ方だった場合には、大勢の人の目に留まるのだろうけれど、その効果は測定できないので、不明。

宣伝が有効だ、効果ない、そういう論争を、ときどき見かける。
有効な人には有効なんだろうけれど、効果を感じない人もいっぱいいるのだと思う。
なにを持って効果があったとするか、どのくらいで効果があったとするか、その基準は人それぞれだし、言い争っても仕方がない。基準がどこにあるかでレベルが高い、低いということでも、SNS利用の意識が高い、低いということでもないと思う。
だから私の出した結論が誰にでも当てはまるわけじゃないことはご理解いただきたい。

 

そして、効果がないと思っていても、私は宣伝をしている。
お知らせ機能がありがたいし、もしかしたら誰かに届くかもしれないという希望も諦められないし、なにかをしたという自己満足にもつながる。どうして宣伝をするのかと言われたら、こういうことだと思う。

たとえ効果なしと言われても、宣伝せずにはいられない。
効率よく割り切れないのが人なのかな、不思議だ。

宣伝なんてしなくても強烈にすばらしいなにかであれば、きっと大勢に見てもらえるんだろうと、ずっと思ってもいる。そんなふうに、いつかなれたらいいなぁとも思っている。

 

不思議と理想と、時間的制約と心の不自由さと、いろんなことを考えてしまって、なにも果たせていないような気がして、ときどきどうしようもない無力感に襲われる。
今日はその無力感を言葉にしてみたくって、こんなことを徒然と書いてみた。
書いたからなんだということでもないのに。。。
宣伝に関しては書いても書いても、未だ思考の整理はできず。
だからきっとまた書いちゃうんだろうな。