ノートは一冊にするべきなんだっけ
できる人間はノートを増やさない、だっけ?
できる人間のノートは一冊、だったかな?
たしか、そんな感じのことを習った気がする。
私はなんでもかんでも書きたい、どちらかというとメモ魔なので、ふと気が付くと何冊もノートを作ってしまっている。
今、パソコンの近くにあるものだけで、スケジュールを書く手帳、メインのネタ帳、テーマをしぼったネタ帳、お遊びノート、交換日記にしている手帳、5冊もある。
この中の数冊を、普段から持ち歩いているバッグの中に突っ込んでいくので、そりゃあもう荷物が重くなる、重くなる。
それでも、私にはとてもノートを一冊にできる気がしない。
ぜんぶを一冊にできるくらい管理ができるなら、そんなことができるのは、できる人間に違いない、なんて思ってしまう。
本当はノートに書き溜めていくようなことをツイッターなんかでつぶやいてしまっていて、実際に書き留める量は減っている気がするんだけど、それでもやっぱりノートは必要。
あれこれ書いては気持ちと頭を整理している。
最近、noteにいたずら書きを載せ始めた。
絵が描けないけど書いているのは面白いからなんだけど、あくまで自分が面白いのであって見てくださった方が面白いかどうかはわからない。
これもやっぱり、ふつうのことが楽しくて、知りたくての延長かな。
そのうちノートをすべて公開しそうで怖い。
以前、「書いてみたらどうだろう」というプチhowto本を書きました。
気軽なプチなので、もしよかったら。
それと、全然関係ないのだけれど、合成人間ってなに?って聞かれたので、リンクしておきます。
遊ぶの楽しいです。